2012年4月3日火曜日

春の嵐        世川行介放浪日記

春の嵐


http://blog.goo.ne.jp/segawakousuke/e/a09932d843ce15407c50b916e4d0af6a


銀座は雨が降り始めていた。

「エーと、歌舞伎座は…、」
 キョロキョロしながら、目の前の店員に、
「あの、歌舞伎座の向かいのXXという…、」
 と訊きかけると、
「お客さん。」
「はい?」
「それはここです」
 
 ということで、奥に入り、30分ほど話して、協力を仰いだ。
 今日も人様の笑顔ばかりが返ってきて、
 幸福感の中の僕であった。

 用事を終えて外に出ると、
 外はもう、立派な雨模様だった。
 夕方からは東京は暴風雨だというので、
 急いで都営浅草線に乗り、本所吾妻橋に戻った。

 先日から、保存(放置?)していたメール記録を一枚一枚取り出して、
 一人一人にメールを送って、送るたびにゴミ袋に棄てるようにしていたのだが、
 残りも半分くらいになって、
 さっき足元の用紙を全部取っ払ったその瞬間、
 キラリ!
 と光ったわけではないが、
 数日姿を隠していたお部屋の鍵が、
「久しぶりね。行介」
 突然に姿を現した。
「おお。お前。
 こんなところに隠れていたのか。
 よかった。よかった。
 本当によかった。」
 思わず頬ずりをした僕であった。

 風邪が治らないで、体調が悪い。
 この数日、「トシさん」も体調を崩していて、
 二人が倒れちゃ絵にならない。
 頑張ろう。

「世川さん。
 下準備はみんな終わった。
 これだけの規模になった。ここからは軍資金の勝負だね」
 電話の向こうで、「トシさん」が言う。
「まったくそのとおり。
 頑張りましょう」

 僕は電話を切ると、新潟のTさんに電話した。
「Tさん。これで準備は全部整えた。
 周囲の人たちにも言ってくれ。 
 核にばっかりお金を出させずに、いくらでもいいから義援金を送れてって」
 計画の全貌を今日初めて聞かされたTさんは、
 張り切った声で、
「わかった。今からやる!」
 そう応じた。

 テレビを観ていると、外は激しい春の嵐だが、
 僕たちもまた、<春の嵐>になるのだ。
 ここから2週間、
 心を同じくする人間が、知恵と身体を寄せ合って、
 
      がんばれ。小沢! 敗けるな。一郎!

 それだけを訴えて行動するのだ。

 判決を目前にして、
 今さらなんの検察批判や反小沢批判だろう。
 いまの行動に必要なのは、
 道行く人々に、
 小沢一郎支援行動の爽やかさを見せ、
 小沢拒否で塗り固められていた心を、少しだけでも開いてもらうことだけだ。 

 判決を目前にして、
 3年間に及ぶ「小沢一郎支援行動」の歴史の中で、
 小沢一郎の名にふさわしい締めくくりをしようと、
 それだけのために、僕たちは、
 緻密に計画を練って今日まで来た。

 <小沢一郎事件>を<戦後知性>の問題としてとらえることの出来る僕の読者諸氏。
 どうか。
 4月15日、正午。
 万難を排して、国会議事堂の前に集まってくれ。
 そこから、
 僕たちでなければ出来ない「小沢一郎支援行動」を、
 一緒にやってくれ。
 来て頂ければ、
 きっと、あなた方に、それなりの満足をお渡しすることが出来ると思う。
 
 
 爽やかで、
 だけど激しい<春の嵐>になろうではないか。


世川行介放浪日記

日々の雑感。昔話。時事問題への言及。

http://blog.goo.ne.jp/segawakousuke
 

0 件のコメント:

コメントを投稿